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2013年3月20日: 明日香路を行く.〜飛鳥浄御原宮苑池〜. 

明日香路を行く.〜飛鳥浄御原宮苑池〜.  明日香路を行く.〜飛鳥浄御原宮苑池〜.  明日香路を行く.〜飛鳥浄御原宮苑池〜.  明日香路を行く.〜飛鳥浄御原宮苑池〜.  明日香路を行く.〜飛鳥浄御原宮苑池〜.  明日香路を行く.〜飛鳥浄御原宮苑池〜. 

朝方降っていた雨が止み、濡れた石敷きの庭を男達は西の苑池へと向かっていた。見上げる甘樫丘は霧に霞んでいる。その右に飛鳥寺の伽藍。突き出た塔が見える。遠くの香具山はうっすらとその所在を感じさせる程度だ。

梅雨に入ったばかりの宮の庭園は水蒸気 が薄く立ちこめ、むっとした大気が辺りを支配していた。
飛鳥川沿いに造られた庭の池には菖蒲の花が咲いている。
石で造られた小さな島と噴水のように水面に落ちる導水設備。その池を見下ろす堤に男達は立った。
天武天皇の皇子・高市、草壁、大津、忍壁、そして今は無き天智の皇子・河嶋と志貴の6人だ。
679年5月 10日(旧暦)皇子達は宮の大殿で天皇に拝礼し、誰が誘うということもなく苑池に向かった。
皇子達は4日前に吉野で行われた盟約のことを思い起こしていた。壬申の乱で勝利した天武は皇子達を伴って吉野の宮に行幸し、千年の後まで継承争いをせぬよう誓いたいと話した。
皇子達は皆母は違っても兄弟だ。河嶋と志貴は父も違うが同じ兄弟として共に協 力し合っていくよう天武は皇子達に話した。皇子達は皆その言葉に従い誓い合った。

「ここに立つと戦から飛鳥に戻った時のことを思い出す」と先頭に立っていた高市が北の空を眺めながらつぶやいた。「ええ、高市兄さんは将軍として勇ましく輝いていました」と大津も飛鳥寺を眺めた。
「いや、大津もよくやった。近江の宮を抜け出して鈴鹿を越えたのだから」と高市。
「我にはそういう思い出があまりない」と草壁が庭の花を見ている。 「草壁はそれでいいんだ。この国を誰もが心安らかに暮らせる国にするため、大きな目で導いていけばいい。天皇がそれを託されたのだから」と高市が振り向いて続けた。

皇子の中では年長者で天武に代わり軍の指揮を執った風貌には落ち着きがあり、風格さえ漂っている。「それぞれの役割がある。それをやり遂げるだけだ。もう戦をすることもないだろう」と大津は寺の塔をじっと見ている。「役割?」と草壁が大津を見た。「壬申年の戦では多くのことを学んだ。今何をしていくべきか、…吉野での誓いを忘れてはならないだろう」と大津は自らに言い聞かせるように寺を見ている。
「学んだ…?、戦で学ぶことなどあったのか」と草壁は吐き捨てるように言った。 大津はようやく草壁にむき直し、きりっと眉を詰め「そうだ、すべてのことに人は学ぶ。 学ぶところからすべてが始まる」と草壁を見据えて言った。「…」草壁は何か言おうとして、その言葉を飲み込んだ。

パタパタという音を響かせて突然池 から鳥が飛び立った。「にほ鳥だ」と志貴が指さした。 池の葦かげから飛び立ったカイツブリが2羽北側の苑池へと姿を消した。皆その鳥の行方を見た。
「志貴は船を出そうと思ったのか」と河嶋が側に寄っていく。「鳥を驚かせてしまった。菖蒲の花を目の前で見たいんだ」と志貴は池の小舟に乗りうつった。 河嶋と志貴は天智の皇子だ。他の皇子達とは話しの内容によって少し遠慮するところ があった。ただ河嶋は大津と仲がよかった。大津には区別なく受け入れる包容力と度量の大きさがあった。「あれは讃良様では…」と忍壁が大殿の方に頭を下げた。 大津も廊下の影に讃良らしき姿を捉えたが、会釈をするまもなく消え去った。

その後の政権争いに巻き込まれ悲運の死を遂げる大津皇子。この時はまだその最期を知るよしもなかった…。

◆ ◆ ◆

飛鳥京苑池は伝板蓋宮跡の西方200㍍程、飛鳥川の川向こうはは川原寺跡というところにあります。
池は発掘調査が進みその全貌が徐々に明らかになっています。
その苑池が復元されようとしています。飛鳥川沿いの宮の苑池が露わになるのもそう遠くないことでしょう。

(上山好庸)